計画から着工まで
最初は東上線とのジャンクション駅も営団成増駅(東上線成増駅)にする計画でしたが変更となり、和光市駅になりました。
そのために営団成増〜和光市間の免許も取得しています。
そして計画は伸び続け、新木場まで伸ばすことが決定、新富町〜新木場間の免許も取得し、
現在の区間の免許がすべて取得し終わり、工事が開始されたのです。
いよいよ開通
そして1980年3月には銀座一丁目〜新富町間、1983年6月に営団成増〜池袋間が開通しました。
その時に、車両も5両編成から10両編成にもなっています。
同年10月には西武有楽町線新桜台〜小竹向原間が開通し、相互直通を開始しました。
現在でこそ西武有楽町線は小竹向原と練馬を結んでいますが、開業当時は練馬〜新桜台間が未開業で、
西武線と全くつながっていない孤立した路線でした。
そうしたこともあって開業当時は営団地下鉄から車両を借りて運行している状態でした。
さらに1987年8月に和光市〜営団成増間が開通し、東上線乗り入れが開始されました。
同時に、和光市〜志木間が複々線化されました。
いままで7000系だけだった有楽町線に、東武9000系という新しい車両が入ってくるようになります。
そしていよいよ1988年には残っていた新富町〜新木場間が完成し、有楽町線は全面開通を迎えました。
さらにその5年後には今は無き07系が登場するのです。
「新線」の開業
またこの時、新線池袋駅が開業しました。
この新線池袋駅は有楽町線とは別の「13号線」の計画を念頭に建設されたもので、
池袋から明治通り沿いに新宿・渋谷を通る路線として計画されました。
当時は新線池袋駅〜小竹向原駅間は「新線」と呼ばれ、有楽町線の支線的な扱いでした。
しかし、あくまで計画だけだった13号線構想も2001年にはいよいよ着工するのです。
一方、1998年には西武線の工事が完了し、飯能まで乗り入れが開始されました。
さらに2004年には営団地下鉄が民営化され、東京地下鉄(通称東京メトロ)になったため、
営団成増・営団赤塚の両駅が「地下鉄成増」「地下鉄赤塚」に改称しています。
さらに2008年には小田急ロマンスカーが千代田線へ直通運転を始め、
有楽町線にも5月から直通を開始しています。
「副都心線」への準備
まずは車両の準備です。この新線に対応するため、2006年に10000系という新型車両が続々と登場します。
これと入れ替わるような形で07系が運用を離脱、東西線へと移籍していきました。
さらに既存の7000系も新線対応化のため改造や短編成化が進んでいきました。
また、東武東上線では9000系を改造したほか、50070系という新型車両を導入し、
西武池袋線からは6000系に改造を施しました。
さらに駅でも準備が進められました。
小竹向原駅と新線池袋駅にはホームドアが設置され、これは07系が撤退する要因のひとつになりました。
そして新線の名称が「副都心線」に決定すると看板類も次々に変更されていきました。
そして2008年6月14日、副都心線の池袋〜渋谷間が開業するのです。
「副都心線」の与える影響
また、人の動きも変わりました。いままで池袋から山手線に乗っていた人たちが
地下鉄一本で新宿や渋谷に行けるようになったのです。副都心線沿線の百貨店などはこの人達をねらおうと
改装などの競争が起こっています。
「副都心線」の今後
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